尼崎JR脱線 重傷の作業療法士 救われた命、被災地で恩返し



 あの日から、たくさんの人に支えられ生きてきた。その意味を、自らに問い続けた。兵庫県尼崎市で平成17年4月、乗客106人の命が奪われたJR福知山線脱線事故で両足に重傷を負った中野皓介さん(30)は今、作業療法士として高齢者をサポートする日々を送る。熊本地震の被災地にもボランティアとして駆けつけた。「もう被害者じゃなくて、支援者なんです」。ずっと探してきた答えを見つけた。(沢野貴信)

 12年前の春。4月25日は、いつもと同じ朝のはずだった。朝6時前には目が覚め、身支度を整えた。だが、入学したばかりの四條畷学園大リハビリテーション学部(大阪府大東市)へ向かう途中の快速電車で、ちょっとした異変を感じた。伊丹駅で大きくオーバーランしたのだ。「何かおかしいな」。直後、車両は脱線し、マンションにぶつかって大破した。

 気づいたときには2両目に閉じ込められていた。足の間に人が挟まり、問いかけにも反応がない。足元にも人がいた。自分はどんな状態なんだろう。声を振り絞り、助けを求めた。レスキュー隊に救出されたが、5時間近く圧迫された両足は、血液の循環不全で筋肉が壊死(えし)するクラッシュ症候群と診断された。

 幾度も手術を受け、懸命のリハビリで歩けるようになったが、自問自答を繰り返した。「僕が生きていてよかったんだろうか」。立っていたか、座っていたか。電車に乗った時間のわずかな差が生死を分けたことに、自責の念がわくのをとめられなかった。

 大学を卒業した22年春、大阪府摂津市保健センターに就職。それから1年がたとうとしたとき、東日本大震災が起きた。「今、ここで巨大地震が発生したらどう行動すればいいんだろう」と危機感を覚えた。災害医療を学ぼうと参加したセミナーで、手術を執刀してくれた医師と再会。医師は福祉医療関係者らで組織する「大規模災害リハビリテーション支援関連団体協議会」(JRAT)で活動しており、災害支援への思いはますます強まった。

 昨年4月、熊本を大きな揺れが襲った。手に取った新聞には、避難所で体を休める被災者の姿があった。被災地に駆けつけることを決心し、JRATの派遣メンバーに手を挙げた。5月初旬、作業療法士として初めて熊本県宇城市に入り、避難所を回りながら現地の保健師らに避難所での体操方法などをアドバイスした。その間も、余震は絶え間なく続く。不安を感じる被災者に寄り添った。

 4日間という限られた活動期間を「実際に行ってみたら何もできなかった」と振り返る。それでも「熊本に行ったことで、次に何かあったときに救える命があるはず」。助けてくれた人たちへの恩返しの一歩になったととらえている。支援が必要な人に、今度は僕がそっと手を差し伸べること-。あの日、生かされた意味が、今ははっきりと分かる。

引用:尼崎JR脱線 重傷の作業療法士 救われた命、被災地で恩返し


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